横山です!
江戸時代(文久年間)の蔵前を調べてみました。
「浅草御蔵」という江戸幕府の米倉がありました。
「蔵前」と名乗る地名の所以ですね。
この「御蔵」かなり広い!
今のJFEさんの南西から蔵前工業高校の辺りまで広がってました。
歩くとかなりあるよ。
「御蔵」には櫛形に切れ込んだ船着き場が8本あって、
北から「一番堀」「二番堀」と続き「八番堀」まである。
「四番堀」と「五番堀」の間には「首尾の松」という松の木がありました。
「御蔵」に入る門は3つあって、
北から「上ノ御門」「中ノ御門」「下ノ御門」の順です。
「御蔵」には何十棟もの蔵が建ち並ぶほか、
奉行や手代のご役宅もありました。
今の江戸通りに相当する道はありましたが、
国際通りや蔵前橋通りはまだありません。
新堀通りは、その名の通り、真ん中に水路がある道でした。
事務所がある場所は、当時でいうと、
「二番堀」と「上ノ御門」の近くにあったと思われます。
コインパーキングと100円の自販機がある道が
「上ノ御門」に続く道だったのではないかと推測しています。
「首尾の松」についてはまたこんど。